2020/11/08

暴走する遊覧船

暴走する遊覧船


秋田のしほこちゃんの話です。

今回は しほこちゃんこと はたけやま しほこさんがイラストと文章を、私ノコがアニメでコラボしました。のりたくなる楽しい箱ブランコ「遊覧船」をお楽しみください。

          ♡ ♡ ♡

世の中には今では無くなってしまった危険な遊具が数多く存在しますが私が小さい頃夢中になって遊んだ

遊具もその一つでした。

子供達の間では"遊覧船"と呼ばれていました。

大勢で乗れる細長い箱型のブランコです。


私のふる里東北の小さな村での話。


私が、通っていた小学校は家から

20分程歩いた坂の上にありました。

朝早く年上のお姉ちゃんたちと一緒に小学校に着くとランドセルを教室に置き、急いで校庭の傍にある遊覧船まで走りました。


私はずいぶん早く学校に行っていたので余裕で乗れたのですが遊覧船のことを考えるとワクワクして走らずにはいられませんでした。


遊覧船にはたいてい両端に大きい子が陣取り、他の子は押し合いへし合い中に乗りました。


ギュウギュウになった遊覧船はその重さもなんのその、キーキーと軋みながら大きく右へ左へと揺れました❗️

その軋む音と皆んなの歓声で

興奮状態になり、ブランコは更に激しく弧を描き揺れました。

我ながらいつも壊れて分解しそうと思い、大人がこの状態を見たら絶対に叱られると思いドキドキしました。


今思うとこの状態は小さな田舎町の

ある出来事と重なります。


それは年に一度夏にある近くの町のお祭りです。

おどろおどろしい見世物小屋、

金魚すくいに彩とりどりの夜店や

屋台

夜には盆踊りもありました。

お祭りの日には周辺の村から大勢の人が町にくりだしました。


交通機関はもっぱらバスです。

いつもなら、まばらにしか乗客のいないバスはお祭りの日だけはギュウギュウ詰めでした。

ドアは開いたままで車掌はバスの


乗り口にある登り棒に両手で掴まりお尻を外に突き出し乗っていました!

おまけに道はまだ舗装されていないボコボコの田舎道です。


我らが遊覧船はまさにその状態と

そっくりです。

一体感とワクワクが溢れて最高の遊びでした。

今ではあの小学校も新しい場所に

移り名前も変わってしまいました。


けれどもあの遊覧船のことは今でも私の思い出の中でひときわ輝きを放ち残っています。あのキーキーと軋む音とともに


         ♡  ♡  ♡


読者の方に 鹿児島の方も 岡山でも箱ブランコで遊んだことがあったという話を聞きました。秋田だけでなく全国にあったようですね。いまは無いでしょうが。


2020/07/17

弟よ わたしが恩人だ


 弟よ わたしが恩人だ! 富山のたまきちゃん


富山はおおきな城下町で神通川やたくさんの水路がはりめぐらされていて、
 
飛騨からの木材も川で運ばれてきています。
 
たまちゃんのうちの近所にはおおきな製材所があり大きな池にたくさんの丸太がうかんでいます。飛騨から川で運ばれてきた丸太を水につけて時間をかけて乾燥させてそれから材木にするのです。 

そこには立入禁止の立て札が建ててありましたが近所の子供たちの 格好の遊び場になっていました。かなり危ない遊び場でありますが。

池の周りにも丸太が積み上げられています。材木のにおいでいっぱいの丸太にこっそり登ったり降りたり、池にはたくさんの丸太がイカダみたいに繋がれて浮いています。
イカダに乗ってみたいと誰だって思うよね?

今日もみんなで材木場で遊ぶことになりました。
たまきちゃんには
二つ下の弟ののりおがいて のりおはしょっちゅうおねえちゃんのあとについてきます。遊びに行くときもいつもくっついてきます。みんなの待っている材木場に走っていくと
「オレもいく~~ 」追いかけてきました。

すばしっこいのりおは たまきちゃんを だーっつと 追い抜きながらにくったらしいことを言います。すばしっこくてふざけんぼうののりおは みんなの人気者です。

「ねえちゃんおっせーな」
「フーンだ べーーだ」

「早くーはやくおいでーたまきちゃーん」
「オーイ のりおー」
先にまっているみんなが手を振っています。

「よしっ、いこうね」
 みんなそろったところでみんなで材木置き場の池に降りていき 浮かんでいるぶっとい丸太にのりました。貯木場の池はかなり広くて そこには いっぱいの太くて長い丸太が針金でつながれてゴロゴロ浮かんでいます。ごく太くて大きい丸太なんか飛び乗っても大人だって何人乗ったってのもびくともしないのもあるけど、たいていは水に浮いていいるからすこしゆれる。

たまきちゃんは手をつきながら恐る恐る丸太を わたっていくけど すばしっこい弟ののりおは ひょいひょいと丸太の上を走り回る。みんなも 結構ひょいひょい身軽なのだ。 

その時 あっという声がした。前の方で のりおが池に落っこちたのだ。


たまきちゃんは 呆然と見ているみんなの前まで夢中で飛んだ。

その時 のりおのあたまが水面にうかびあがってきた。

弟の頭が水から見え隠れしてるのが怖かった

たまきちゃんは夢中でつかんで 必至で手繰る寄せるて腕をつかむとすごい力で引っ張り上げた。

子どもなのになんで引っ張り上げられたのか あんなに力が出たのかわからない。 
丸太の上にひっぱりあげると
のりおは ゲホゲホして 水を吐いた。それから泣いた。


ふだんのんびり屋のたまきちゃんだけどのろまだなんて 弟にいわれることもあるけど あの時だけは とっさに のりおを水の中からひっぱりあげたのだ。

助けたのだ

だから言いたい 


「弟よ わたしが命の恩人だ!」


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 小さい頃の~危ない遊びを自慢しよう~ブログ をご訪問くださり ありがとうございました。
このコロナの時期 家にこもる生活を機に 昔の話を みんなで共有させていただいてしまいました。
 
 アニメとも言えない動いてないムービーですが 最初は止の絵を並べるだけのつもりがだんだんと 描く枚数が増えてしまいアニメーターな地がでてしまいます。
 
 ここに出てきた話は全部 身近な方たちから 聞いた話ばかりですが 描いているうち 三つ子の魂百までだったり へっちゃらなつよさがみえたり 驚くような事実を聞いたり 今まで気が付かなかったその方の一面が見えてきたのが すごくおもしろかったです。 話を提供してくださった皆様~~
ありがとうございました!

最初の予定に少し足りませんが ここいらで一休みにしたいと思います。

やっていましてすごく楽しいので また再開するときがあると思います。

その時はまた来てくださいね。


また ブログ うまくコメントやら付けられなかったり 不備が多くて失礼いたしました。

コメント不備で 感想などかいてもらえなくれなくて残念~~

これから なんでも ご意見 体験談 感想も メールでご連絡お待ちしております。



また 応援してくださった皆様 ありがとう

またお会いしましょう。それまでお元気で 

2020/07/10

ひろいなあ

ひろいなあ 仙台のゆみちゃん


仙台は大きな街ですが ゆみちゃんが小さかったころは高い建物といえばデパートぐらいしかありませんでした。平屋か2階建てのたてものばかりのそのころ ゆみちゃんの家の近くに 高層マンションができたのです。超高層のタワーマンションはまだ先のことでしたから その新しい6階建てのマンションは そびえたっていたのです。

ゆみちゃんは そばっを通るたびそのマンションをみあげて は 
「たかいなあ~~
あそこの上までのぼってみたいなあ~~
見晴らしいいだろうなあ」
と 何度も思うのでした。

そして 七月のある晴れた日 ピアノのレッスンにいく途中 ゆみちゃんは 垣根の向こうに見えた高い建物に吸い寄せられるように 角を曲がっていってしまいましいた。」
「よーし いーこうっと」
とマンションの入口に走っていきました。

いまでしたら セキュリティーが厳重で住民以外ははいれませんが 1020年まえくらいは だれでもはいれちゃうのです。入口に管理人室がありますが 管理人さんは ちょうど買い物から帰ってきた人たちが何人もとおるので 目もくれませんでした。

ゆみちゃんはすぐにある階段をあがりました。
たたた と 6階まで続く階段を一気にかけあがると屋上に続く階段がありました。

はあはあしながら重い鉄のドアを開けると まぶしい初夏のそらがひろがっていました。

「わあー 屋上だ 」
あたらしいピカピカのコンクリートがまぶしい。 鉄のさくのところまでいきました。柵は結構高くてゆみちゃんの背丈と変わらないくらいまであります。

「あれは駅だよ
あれは丸光
遠くに飛行場と海が見えます。
あたしんちは どこだろう
あのへんかなあ
あ あれが小学校だ。

遠くには山が見えます

もっとそばで 見たくなりました。
ゆみちゃんは サンダルを脱いで裸足になりました。
これなら 滑りません。よいしょと足を上げるとつま先が柵の上に届きました。鉄登りはだいすきなので 此の
柵くらいなら 登れちゃいます。
柵の向こう側は 
20センチくらいのコンクリで囲まれています。
その向こうには何もありません。

ゆみちゃんはその時 
「あ 見つかったら おこられる!!」と思いました。

それで そうーっと 屋上のへりから 真下をのぞきました

わー人が あんな小さく見える
やだー 車がおもちゃみたい
かおをあげると 川が見えます
みどりの木々がつづいて そのむこうには山があります
広いなあ
気持ちいいなあ

ゆみちゃんは またさくによじのぼり
サンダルを履いて レッスンのバックをつかんで階段を駆け下りました。
誰にもみつからなかったよ 

2020/06/19

わたしは犬さん


わたしは犬さん  吉祥寺のしいちゃん


今の若い人には考えられない事かもしれませんが昭和30年代頃までは 

犬は放し飼いだったのです。

シェパードなどの大型犬はつながれていました が 

首輪をしている飼い犬が近所やそこいらを歩き回っていました。

想像できないかもしれませんが~ そうですね、 

今 街に放し飼いの猫がいるように 街を犬が歩いていた といえばわかるでしょうか?

なかには 野良猫ならぬ 野良犬もいました。でもたいていは 飼い犬でした。

飼い犬といっても ごはんの時間になるとちゃんと家に帰っていくのです

家の中には入りません。外の犬小屋がねるところです。ちなみに ごはんは 

ドッグフードなんてなくて 残り物のご飯に 味噌汁をぶっかけたものが定番でした。

猫には これにオカカを加えたものが 上等ごはんでした。

当時はやったTVに「名犬ラッシー」という賢いコリー犬が主役のアメリカの子供番組が

ありました。子供部屋で ラッシーが男の子のベッドで寝ることにはげしく衝撃を受けた

ものです。犬なのに家の中にはいる!?!? 

犬なのになんとベッドで人間と一緒にねる!?!?


さて そんな 犬が街を歩いていたころのそれ程遠くない昔の話です。

しいちゃんは「変わっている子」といわれていて 友達がひとりもいませんでした。

 
正確にいうと 「人間のお友達はひとりもいません」。 

でも「犬の仲良しお友達」はいました。

だから さびしい なんて思ったことは一度もありません。

毎日 大好きな犬友達と遊びまわっていました。


しいちゃんの家の スピッツと柴犬の雑種 丸い目の まる

牛乳屋さんのかわいいめすの メリーちゃん、 

あと あか と 

ジロー

5人そろって(正確には4匹とひとり)輪になって相談します。

もちろんしいちゃんもお座りして ワンワン語で話します。

「今日は どこにいく?」

「井之頭公園にいこうよ ワン」

「決まりだ いいね ワンワン」

相談がまとまると いざ出発!

角を曲がって 垣根を越えて 他人の家の庭に入って 物置の裏を通り 

家と家の隙間を抜け

また他所の 庭に入り なっているビワの実をちょっといただき 

5人は一緒に進んでいきます。

もちろん しいちゃんも よつんばいで歩きます。

井之頭公園ではおもいっきり追いかけっこして遊びました。

帰りは違う道を通って帰ります。犬ですから よその家の庭も平気です。

道だけが道ではありません 。

ベンチの下をくぐって  狭いところだって通れちゃいます。犬ですから。



「そろそろ帰って来る頃だわね」

しいちゃんのお母さんが待っていると、いけがきのしたから一人ずつ あらわれました

最初に現れたのはジローが

次があかが

次がまるで 

メリーが 

最後にあらわれたのは 一番年下でちびのいしいちゃん  

「おかえりなさーい しいちゃん」

「ワン!」



2020/06/10


秘密の・お腹こわし  熱田のちかちゃん


ちかちゃんは3人兄弟の末っ子です。
家は代々材木屋をやっていました。

ですので 大家族で育ちました。しゃきしゃきの材木屋の主のおじいさんと昔気質のおばあさん
そしてお父さんとしっかりもののおかあさん それに お姉ちゃんお兄ちゃんの
全部で七人家族でした。

お姉ちゃんは初めての子供でしたのでみんなの注目を一身に集めてましたが
結構のんびり屋でした。

みんな一緒に夜は7時になると食卓を囲みます。

今はバラバラな家も多いですが 当時はきっかり 朝は7

お昼は12時 夕食は7時とどの家も決まっいていて家族全員そろって

食事をするのは 当たり前すぎるゆるぎないものでした。


 
 すえっこのちかちゃんは 大人たちに囲まれて育ったのんびり屋のお姉ちゃんと
お兄ちゃんを見ているので どうしたら叱られないか 小さいながらによく観察するのが 身についています。

今日はちかちゃんの大好物の とんかつです。のろのろ食べて おそいんだからと怒られている

お姉ちゃん お兄ちゃんをしり目に 一気に自分の分と お姉ちゃんの食べないのを
たいらげてしまいました。

「まっ ちか!そんなに食べて」
「ほれ お姉ちゃんが食べないから ちかが全部たべてしまったじゃないか」
「ちか!いい加減にしなさい! お腹こわすよ」
「食べすぎなんだから ちかは」

お母さんとおばあさん おじいさんとお父さんにもにさんざん いわれます

「平気だもん お腹なんか 壊さないも~ン」

大好きなとんかつ お姉ちゃんの分も食べてしまって さすがにちいさいちかちゃんは
お腹が くるしくなりました。

よつんばいになって 重いお腹を下にして歩きますと
名案が 浮かんだのです。

「そうだ!いいこと考えた」

玄関の汚い汚れた 床に 手のひらを こすりつけて
なすりつけました。

そして~~

その汚い掌を

べろ~~り

と舐めました

効いてきました。

お腹がゴロゴロしてきて

「うんち~~っ」

と駆け込みました

そしてすっきり!

これであしたも いっぱいご飯食べて 大きくなるぞ!!

イェ~~イ 

でもこれは 秘密です。







2020/06/01

ツノが生えるぞ


角がはえるぞ

三重県度会郡(わたらい)のきょうこちゃん


 きょうこちゃんはお母さんが亡くなってから おばあちゃんと叔父さんと一緒に田舎で暮らすようになりました。明治時代に建てられた古い家で 江戸時代から大正時代頃までは荷物を運ぶあきんどが泊まって、荷車をひく牛や馬を取り替える馬喰(ばくろう)宿だったそうです。


お風呂は五右衛門ぶろです。
五右衛門風呂ってご存じですか?

大きな 鉄でできた黒いお釜で底からグラグラ火をたくので 鉄ですから熱くなるので木

のすのこをお風呂の底に敷いてその上に乗るのです。やけどはしたことはありません。

風呂の窓からは夜は 真っ黒い山しか見えません。


おばあちゃんは 明治の人です。手こねずしを作るのがとても上手で京子ちゃんのため

に おやつに お芋をふかしてくれたり 焼きおにぎりも作ってくれました。

田舎なので周りのこたちは みんなモンペをはいていました。近くにはお店は一軒だけあ

ってキャラメルと 雑誌と 砂糖とかカレー粉とか よろずやでした。お玉とか おなべ

なんかもおいてありました。


おばあちゃんの母親、つまりひいおばあちゃんも生きていて近所に住んでいました。ひい

おばあちゃんは江戸時代の生まれです。


小学校へ入ったきょうこちゃんは 給食にびっくりしてしまいました。

家では 食べたことが ないものが 出てきたのです。

牛乳は一度も飲んだことがありません。

「牛(ぎゅう)の乳(ちち)を飲むと 角がはえるぞ」

お肉も一度も食べたことはありません

「豚肉を食べると 豚鼻になるぞ!」


「鶏肉を食べると とさかがはえてくるぞ!」



ひいおばあちゃんからずっと言いきかされてきました。

だから家ではお魚しか食べたことはありません。誰もオキテ破りはしなかったのです。


「給食は残さないで食べましょう」

と先生に言われましたが

きょうこちゃんは決して お肉を食べませんでした。


田舎では昭和になっても昔から言い伝えられた〝たたり〟が信じられていたのです。

2020/05/26

          危険な穴ほり

宮崎市のよしこちゃんの話を聞いてください。
よしこちゃんの遊び場は 道路でした。車が少なかったから道路は近所の子供たちの格好の遊び場だったのです。馬が荷物を引いて通ることもありました。時折馬糞をおとしながらね。馬糞は藁が成分ですから あまり汚い気はしませんでした。



よしこちゃんは
幼稚園には いっていません。親に言われても絶対いくとはいいませんでした。

なぜなら
近所のお姉ちゃんに 「幼稚園は怖いところだ」と教えられていたからです。

幼稚園にいかないでなにしてたかって?ひとりであそんでいました。
お姉ちゃんたちが学校に行っている間に よしこちゃんは近所で一番ちびでしたからいわれたことをせっせとやっていたのです。

石をたくさん集めておいてとか
板を集めておいて
とか  
学校から帰ってきたらそれでみんなで一緒に遊ぶのです。



「よしこちゃん 落とし穴ほっておいてね」


今日は穴を 掘っておくように 登校のときの4年生の敏子ちゃんからいわれました。

穴ほりはだいすき。
でも 結構たいへんです。
結構土は固いし
石ころもやっかいです。
でかい石ころに突き当たると ガツンとします。
大きいようです
石の周りを掘っていくと たくあんいし くらいの大きさがありました。
石を取り出してのけるのは すごくたいへんでした。
黒くてべっとりとした 土はなかなか思うように深く掘れません。

学校から帰ってきた近所のみんなは ランドセルを家にほおりなげると
すぐに走って集まってきます。

「よしこちゃん 穴ほれた?」
「うん これくらい」
「ようし じゃあ みんなで ほるよ~~」

「おりゃ」

スコップやしゃべる 木の板で夢中であなほり。
やっと 深くなって

「すげえな」
「でかいあなだぞ」
「やったー」

人が入れるくらい 深く掘ったのははじめてです。

「そうだ ろうそくたてようよ」
「うん ろうそくたての よこあなもつけようよ」
「すごいな うちみたい」

みんなのなかで いちばんちびの よしこちゃんが アナにおろされました

「よしこちゃん どう?」
「うまく たてられる?」
「マッチ ほら わたすからね」
「うん」
「うわー 火が付いた」
「すこいね」
「きれいだよーー」

そのときです

コラーっつ なにやってんだあっ!!!!

ばかもん! 死んじゃうじゃないか!

通りかかったおじさんに


よしこちゃんは穴から ひっぱりあげられました。

ろうそくの火でで一酸化炭素中毒になり死んでしまうところでした。
おじさんが 通りかからなかったら
よしこちゃんは 今 生きていなかったかもしれません。

危険なあそびだったのです。








2020/05/19

見て!手でさかなつかまえた


  見て!!手で魚をつかまえた


小さいころの危ない遊びはわすれられませんね。
今じゃ 子供たちだけで遊ぶなんて考えられない時代になってしまいましたが
当時は 親がいつも付き添ってるほうが考えられないことでしたね。

危なくないわけはないのだろうけど 
「遅くまで遊んでると 人さらいにさらわれちゃうよ」
っていわれたけど 事件も少なかったし 普通家の鍵をかけるうちなんてなかったし あけっぱなしで のどかっだったのでしょうね。


さて今日はゆうちゃんの話ですよ~~


家の近くを流れている芦部川(あしぶがわ)長野県~はいつもゆうちゃんのあそびばでした。裸足で 川に入る感触が大好き


オイカワやカジカもたくさんいて 足元にまで魚の群れが。



はだしの足で川に入ると 水は冷たくて心地いいし水面はキラキラ 川を渡る風はさわやか。

隣のてるちゃんと網とバケツを持って毎日出かけていく

ゆうちゃんは 芦部川で魚を捕まえてるのがとっても得意なんです。魚の黒いむれが じっとしてる。

てるちゃんは えいっと網を振り回したが 魚は一匹もとれはしない、
すばしっこいからね。何度やっても 捕まえられない。

下手だなあ 


一方ゆうちゃんは じっとしている。そして水の中で手を すばやく動かして

なんと 素手で さかなをつかまえてしまった!!

手には魚が 跳ねている

誰もがびっくりするよ!!

ね できる?


あのね 秘密があるんだ


教えてあげる

川の中の冷たい水の中で 手も足も付けたまま じっとしてるんだよ。

手が冷たくなってきちゃうでしょ それでも我慢してじっとしてるんだ

そうすると さかなはね 人の体温が分からなくなって 手だって気が付かないんだよね

魚は全然わからないから平気で 手のひらに近づいている

その時 さっと素早くキャッチするんだ

ふふふ 

面白いよ やってみてね

やってみてね






2020/05/15

アオガエルの怨念04


 
広々とした田んぼは遊び場だった
無数のカエルがいた。
ゆうこちゃんは カエルを捕まえて遊んでいると 近所の大きいお兄ちゃんが
通りがかり
 「かしてみ そのカエル 面白いのみせてやるよ」

おもむろにストローを取り出した大きいお兄ちゃんは アオガエルの口につっこんだ。
そして 息を吹き込んだ。 
やめてー!! やめてー!!
 かわいそうだから やめてー!!

言えなかった・・・・・・・・・・・

その夜 おふろにはいっていると

お風呂は当時はヒノキの板でできていた。
洗い場には すのこがしいてあり どこから入ってきたのか

すのこの下から アオガエルがでてきた。

こわかった
こわかった

あの恐怖は わすれられないのです。


小さいころの 危ない遊びあったらおしえてね!!

初めてのふたり乗り 危ない遊びしてたよね

私が小さかったころ 家の前には大きな国立病院があった。そこの広い敷地には看護学校もあり若いはつらつとした看護婦さんの卵がいつもみんなで歌をうたいながらあるいている。動物実験の棟もありそこにはモルモットがいっぱいいて若いお医者さんがビリヤーをやっていた。一番奥にはもう一つ開いたのを見たことのない門がありそこは感染症の病棟だった。赤痢が流行っていた時代だった。病院の中も遊び場だった。外来病棟の二階の踊り場には ガラスケースがあって その中にはそれは素晴らしい病院全体の建物の見事なミニチュアがかざられているのだ。それを見るたび何百回でも胸はときめく。


そして 近所の子供たちにとって一番の場所は敷地内にあるはらっぱなのだ。ただ草が生えているだけの空き地たけど、なんと豊かなところだろう。歩くたびに四方にバッタは飛び出し そらはあおく草いきれ。何にもなくても青空とすべてがあった。大好きなはらっぱ。一日中そこで遊びまくってた日々は今でも宝物のように燦然と輝いているのだ



二人乗りを初めてした時のあぶない話


同じ市内には競輪場があったので、競輪選手もけっこう近所に住んでいた。やこちゃんのパパも競輪選手。競輪選手は毎日お風呂に入るしオロナミンCを飲むのだ。うちは1週間に3回だったし、大村コンのオロナミンCはいちどものんだことがない。近所ではやこちゃんのパパ以外はだれも飲んだことがない。やこちゃんのうちには表彰状がいっぱい飾ってある。鴨居の上にいくつも並んでいる。競輪で優勝したらしい。だからやこちゃんも運動神経がいいのだ。
やこちゃんはと私は同じ歳でいつもいっしょにあそんでいる。ある晴れたうららかな午後やこちゃんと初めて二人乗りをすることになって すぐ前の国立病院でのりまわした。運動神経のいいやこちゃんだが さすがに後ろに乗っているのは重くて子供用自転車はぐらぐらしながらはしりだした。後ろに乗っている私は必至で背中にしがみつくが 砂利道はぐらぐら 段々慣れてきて スピードがぐんぐん上がってきたその時 なんと二人乗りの子供用の自転車は 血液銀行の階段をあの小さな車輪であり得ないことに ふたりをのせたまま駆け上り ふたりを乗せたままガタガタと階段を駆け下りた。あーーあぶなかった!!
あんな階段 子供自転車でのぼっちゃうなんて信じられないでしょ?しかも二人乗りで!!!
忘れられない凄い体験アニメにしたから 見てね

暴走する遊覧船

暴走する遊覧船 秋田のしほこちゃんの話です。 今回は しほこちゃんこと はたけやま しほこさんがイラストと文章を、私ノコがアニメでコラボしました。のりたくなる楽しい箱ブランコ「遊覧船」をお楽しみください。           ♡ ♡ ♡ 世の中には今では無くなってしまった 危険な...